芳春院は前田利家の正妻まつが建立した、
最初から前田家の菩提寺です。
格闘家アンディ・フグの墓(分骨)もこちらにあります。
注)今は庭園も含めて撮影禁止になっているようですが、
撮影可能な頃に撮った写真です。
撮影禁止理由
・あまり有名になりたくない
・拝観回転率を上げる為
(本音:本当は別に撮って貰ってもいいんだけどね…)
どうも人が押し寄せていっぱいいっぱいな感じですね。
呑湖閣辺りの写真を見れば分かりますが、
回廊が狭くて撮影スポットなので。
芳春院略歴
前田利家が亡くなった後、正妻のまつは出家し芳春院となりました。
ねねの高台寺にならい前田家の菩提寺として芳春院を建立します。

ねねは利家とまつ(11歳)の仲人をしたと伝わるくらい昔からの友人で、
まつは子供を授からなかった秀吉・ねねに、
満1歳の娘を養子に出す仲でした。
まつは満11歳で長女を産んで以降2男9女に恵まれ、

方丈前庭「花岸庭」

前田利家の興臨院と同じく、

白砂に蓬莱島と石組があり、舟石が蓬莱島を目指しているあたり、
興臨院と似た感じになっています。

「花岸庭」という名前ですが、仏教で「岸」とくれば「彼岸」が思い浮かびます。
方丈の縁側までを此岸とし、大河を渡っているとも取れます。

門の横の紅葉した木は沙羅だと思いますが、
舟は彼岸にある仏教の聖樹・沙羅の方を向いています。

この枯山水庭園は、
創建当時とほぼ変わらない風景で貴重なもののようです。
だとすれば、方丈裏庭園と共に小堀遠州作という事になります。
焼失して再興して、廃仏毀釈で荒廃して再興してなので分かりません。

初夏にはまつが好んだ桔梗が咲きますが、
参道のツワブキや京都一大きい沙羅、
池のカキツバタや睡蓮・半夏生・甘茶(アジサイ)など花の寺となっています。

基本的に非公開なので四季を通して見た事はありませんが、
2002年の大河「利家とまつ」の年は通年公開だったようです。

紅葉した木の下の黄色く枯れた葉などは桔梗ですね。
かつては一面に桔梗が咲く「桔梗の庭」だったそうです。
方丈北庭

小堀遠州と医者・横井等怡(とうい)による作庭の楼閣山水庭園です。
横井等怡…名医らしいですが、寄進してお金を出しただけなのか不明。
呑湖閣と作庭を小堀遠州と合作で行ったとも伝わります。
横井等怡が小堀遠州に諮り昭堂として創建した話が混ざっているような?

斜面を利用し大きな石を随所に配しています。
滝石(左端の2枚の立石)から「飽雲池(ほううんいけ)」に水が流れ、
呑湖閣には「池に映る月に遊ぶ」という意味の「打月橋」が架かります。

大徳寺山内唯一の池泉式庭園で、
廊橋に月見台がある作りは、

金閣・銀閣・飛雲閣につぎ「京の四閣」に数えられる「呑湖閣(どんこかく)」
名前の由来はこの楼閣から比叡山の向こうにある
「琵琶湖をも飲み干す(位の眺望)」という意味。
ちなみに東福寺開山堂2階の楼閣部分「伝衣閣」を加えると、
「京の五閣」と呼ばれます。
四閣までは前に大きな池の有る、楼閣山水庭園になっていますが、
東福寺開山堂は楼閣山水では無いですね。

小堀遠州創建の「呑湖閣」です。
屋根の直線具合に遠州の直線好きが現れています。
仙洞御所の直線部分を遠州の名残と言っていますが、
改修前の仙洞御所の庭ってプールのように四角で、
3mくらいの石垣に囲まれた奇抜な物だったとか…(^-^;

呑湖閣には前田家の梅鉢紋と似ている天満宮の祭神・菅原道真公も祀られています。
菅原道真は前田家の祖先とも言われています。
前田家は今でも北野天満宮に刀を奉納していると聞いた事があります。
長岡天満宮の太鼓橋が前田家寄贈なのは八条宮家との縁なので、
梅鉢紋繋がりとはまた別の話。

この辺りは方丈の西側ですが、
こちらまで池が回りこんで来ています。
そして、方丈前庭の白砂で川や海を表した枯山水の流れへと、
繋がるようになっているように見えます。
それなら前庭もセットで遠州作庭になりますが、
花岸庭も遠州作庭とアピールしそうなのに、
中根金作復元庭園の方が前面に出ていて、
遠州作としているサイトがあまりに少ない。
そして、それがいかに当てにならないかもよく知っています(^-^;
なので「花岸庭が遠州作」かは納得いくまで保留とします。
芳春院拝観情報
通常非公開(毎年秋に定期公開)
拝観時間:9:00~16:00
拝観料:定期公開大人500円
特別公開主催によっては600円/800円
アクセス:市バス101・102・204・205・206などで「大徳寺前下車」
駐車場は大徳寺駐車場を利用 2時間500円