京都フォトログ

古都で過ごす日々の記録。季節の花や歳時を撮り歩きます。

庭園16 相国寺塔頭慈照院庭園 足利義政の影堂と八条宮家の菩提寺

今回は相国寺塔頭の慈照院を紹介します。

 境外塔頭ではありませんが、境内から少し離れた所にあります。

 

慈照院とは?

1405年頃創建され大徳院という寺名でしたが、

1490年に足利義政の影堂(えいどう)となり、

その法号から慈照院と改名しました。

義政公は慈照寺銀閣寺)を創建された方ですね。

f:id:ReMIST:20190709030017j:plain

f:id:ReMIST:20190709030036j:plain

門を潜ると玄関前庭は枯山水の石庭になっています。

ちなみに正面の建物は庫裏です。

f:id:ReMIST:20190709034904j:plain

石のアップ。

面白い石を使っているようです。

f:id:ReMIST:20190709030329j:plain

玄関の花頭窓から見える陸船松(りくせんしょう)と少し客殿

 

1600年代には慈照院七世仏性本源(ぶっしょうほんげん)国師八条宮智仁親王、智忠親王と親交があり、

現在の書院(本堂)「棲碧軒(せいへきけん)」も八条宮から下賜されたものです。

そうした縁から八条宮家の菩提寺となっています。

 

慈照院客殿前庭

f:id:ReMIST:20190709030910j:plain

苔は大海原とも雲海とも言われています。

f:id:ReMIST:20190709030940j:plain

f:id:ReMIST:20190709030959j:plain

客殿前 枯山水庭園

祠の横の枯滝石組から庭園全体へと水が広がっていくイメージです。

f:id:ReMIST:20190709043354j:plain

方角的には陸船松の方ですが、比叡山を借景とした庭園です。

今となっては頂上付近くらいしか見えません。

 

茶室露地庭

f:id:ReMIST:20190709034357j:plain

書院は桂離宮の古書院と同じ材料や建築法で作られていますが、

撮影禁止なので写真無しで、

スリッパを履いて茶室に向かいます。

f:id:ReMIST:20190709035433j:plain

仏性本源国師千宗旦とも交流があり、

智忠親王の為に造られた茶室「頤神室(いしんしつ)」は、

宗旦との合作で「宗旦好みの席」とも呼ばれます。

床には「宗旦狐の掛け軸」が掛かっていて、

普通の茶室より大きな窓は、宗旦狐が茶室の窓を突き破って逃げたから

とも言われていますが、中も外も撮影禁止で写真ありません。

 

代わりに蹲(つくばい)だけ置いておきます。

 

慈照院から外に出て、

こちらが智仁親王墓以下七墓の「桂宮東ノ墓地」です。

八条宮が後に桂宮と呼ばれます。

f:id:ReMIST:20190709040312j:plain

桂離宮の園林堂に祀られていた歴代八条宮の位牌は、

桂離宮宮内省管轄になった時に慈照院に遷されました。

 

remist.hatenablog.jp

 

おまけ

相国寺境内にある宗旦稲荷社

境内通るたびになんとなくお参りしています。

f:id:ReMIST:20190709041555j:plain

『宗旦狐』の伝承

茶会が行われた時、千宗旦は遅れてきた事を詫びました。

しかし、出席者は”宗旦は今しがた見事な手前を披露して下がった”と言う。

このような事が重なり、偽者の正体を暴いたところ、

宗旦の手前に憧れた狐だと白状し、二度と悪さをしないと誓って去り、

人々もその腕前を認め追う事はしませんでした。

 

それ以後も、相国寺周辺の人々と関わりを持ち慕われるようになりましたが、

最後は差し入れられた好物のネズミの天ぷらを食べて神通力を失い、

犬に追われて井戸に落ちて死んだとか、猟師に撃たれたとか、

いずれも悲しい最後を遂げます。

 

宗旦狐の最後を哀れに思った相国寺の雲水たちにより、

供養の為に建てられた祠が宗旦稲荷社です。

 

拝観情報

通常非公開

アクセス:相国寺境内を北まで突っ切り、突き当りを左折。

     白い五本線の壁が慈照院です。(烏丸中学校裏手)