京都フォトログ

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古都で過ごす日々の記録。季節の花や歳時を撮り歩きます。

庭園62 妙心寺塔頭衡梅院「四河一源の庭」 妙心寺四派の根源の庭

今回は妙心寺塔頭衡梅院(こうばいいん)庭園を紹介します。

こちらは妙心寺再中興の祖となった六祖・雪江宗深(せっこう そうしん)を開山とする塔頭です。

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「大方丈庭園」の紹介の時にも触れましたが、

雪江禅師の”四傑”と呼ばれた法嗣が妙心寺四派の祖となり、

今も脈々と受け継がれている、とても重要な塔頭です。

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本来なら花園法皇離宮跡であり、

妙心寺最初の塔頭となった玉鳳院を先に紹介したかったのですが、

庭園も含め撮影禁止のため紹介する写真がありません。

桃山時代初期の蓬莱式枯山水庭園で、

国の史跡・名勝庭園です。

'07 '12 '16年の『京の冬の旅』で公開されており、

丁度'20.1月から3月に公開されます。

この機会を逃すと周期的には4・5年後と思われますので、

興味があれば是非。

 

話を戻しまして、

衡梅院もまた開山堂・玉鳳院の近くに立っており、

花園法皇離宮跡地に創建された塔頭となっております。

 

衡梅院略歴

妙心寺四派の祖となる雪江宗深を開山とする塔頭霊雲派に属します。

妙心寺を再興した時と同じく、管領細川政元の援助を得て創建されました。

その後一時無住となり衰退します。

 

細川政元は雪江入滅後、妙心寺10世・景川宗隆(けいせんそうりゅう)を開山とし

自宅に大心院を開きました。(後に移転して塔頭となる)

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”江戸初期に天秀得全(てんしゅうとくぜん)禅師が、

豊臣秀頼七手組の1人真野蔵人一綱(まのくらんどかずつな)の援助を得て再興した。”

と、駒札に説明されていますが七手組・真野頼包と同一人物か不明。

 

お茶が禁止で茶室を隠している妙心寺塔頭にしては、

堂々と方丈横に茶室「長法庵」があります。

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6代住職が母(東福門院の侍女)の菩提を弔う為に寄進した、

蓮型の梵鐘も珍しいです。

方丈前庭「四河一源の庭」

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江戸時代に再興した際に造られた枯山水庭園です。

右手には三門が見えます。

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左奥に滝石組がありますが、元々は白砂の枯山水庭園でした。

一面に苔が生えて現在の姿へと変わったようです。

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その後、楓や夏椿(沙羅)が植えられ紅葉が綺麗らしいです(非公開)

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右奥の大石が雪江禅師を表し、手前の平石が座禅石です。

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突き当たりの茶室「長法庵」横の刈込はドウダンツツジで、

これも秋には真っ赤になり彩りを添えます。

「長法庵」露地庭

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お茶室横のお庭です。

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茶室は自然の枝を使った窓が良い感じです。

輪切りの切り株に「長法庵」と書かれています。

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切り株の穴を「雲」に見立てて、

【雲無き心にして岫(しゅう)を出ず】と読みます。

 

天井の一部に楠木の一枚皮を使った点が見所です。

 

衡梅院拝観情報

通常非公開です

(2009年「京の冬の旅」が19年ぶり公開でしたが、

 2015年「京の冬の旅」でも公開しました。)

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